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生活できない人の生活ブログ

日常

日がな一日親のすねをかじり、思い出を整理する昨今。

タバコをふかしPCを見て。父にこんなことをしていた、こんなことがあったと話ている。

こういった事は子供のころはまったくなかった経験だと思う。

ありのまま客観的にあったことを話す。仕事には必要なものだと思う。

親にも話すのはためらわれるような子供だったように思う。

しんどいことも楽しいことも、素直には話せなかった。

人からどう思われるかに、いつもびくびくしていた。

関係が変わってきたのかもしれない。

ありのまますべて話せるというのは、本来は親ぐらいなのかもしれない。

社会関係は少しずつ距離をとりつつ、話し合ってくっついたり離れたり。